Web3.0の夜明け

2020年、社会は混沌を極めた

昨年は想像を絶するような一年だったことは言うまでもないでしょう。COVID-19によってそれまで当たり前で感謝することを忘れていたような移動の自由を奪われた人類にとっては、我々の個人の生活としてもとても苦難の一年だったように思います。

過去と同じように仕事を行うことができなくなったり、生活に困窮されたり、今もなおご苦労されていらっしゃる方が大勢いらっしゃると思っています。
しかしその一方で2020年は金の価格の高騰や、一瞬のマーケット崩落ともいうべきBitcoinを含む値下がりを経て、世界的にも長らく株高の流れが起きていました。

あれよあれよとテクノロジー銘柄の株価は特に米国株で上昇していき、一時期冷ややかに批判的な言葉として使われたRobinhooderですらも年末にはきちんと含み益を出すような結果となっていたように感じます。

実にいびつな社会であると感じざるを得ません。国際社会は未だ入国制限が多くビジネスなど必要性が高いような移動であっても隔離期間が確実に必要になるような状況です。
テックカンファレンスを含む多くのビジネスカンファレンスはオンラインへと移行し新しい生活様式の名のもとに、生活の変化を許容されてきた1年でした。

 breaking dawn

プライバシー意識の変化

そんな2020年〜2021年に大きく変化してきたことは何でしょうか、私はその一つはプライバシー意識ではないかと考えています。2020年から何かと物議を醸すことの多かったツイートの結果、2021年1月8日には当時現役の米国大統領であるトランプ大統領(当時)のSNSアカウントの停止騒動は、未だに記憶されている方も多いでしょう。

当時ニュースを見ており、私はシンプルに”しかたなさ”が多い決断だと理解しました。多くのソーシャルネットワークサービス(SNS)では、利用規約が明記されておりそのルールが一定は可視化されているものの、具体的な表現などについては個社のスタンスによるさじ加減がどうしても出てしまう部分であります。

しかしながらTwitter社がアカウントを非表示にした際などに、”何もしない”ことが即ち容認すると理解できる企業の対応とも読み取られてしまう為、当然ながら何らかの判断を軸に決断を迫られたのだと理解できるのです。

それも現役の米国大統領である為、非常にそれぞれのプラットフォーマーは会社として大きな経営上の判断に近い判断をせざるを得なかったことは想像に難くありません。

私はあの判断が正しかったのかどうかをここで論じるつもりはありませんが、一つ思うことはプラットフォーマー企業にとって、非常にセンシティブな線引きを事業内で行うことは、1サービスの命運をも握っているということです。

それに加え多くのプラットフォーマー企業は既に多くで株式公開(IPO)しており、多くの株主によって支えられています、そんな中で法令とは異なる一種のサービス上での判断を行うことは、その結果によって株価が下がれば当然ながら株主訴訟のリスクなど、より頭を抱える展開が増えてしまうことが推測されます。

ここまではプラットフォーマー企業側の意見でありますが、果たしてソーシャルネットワークサービスは今のプラットフォーマーモデルでしか成立しなかったのだろうかという問いがあります。

これはまさに当社が取り組もうとしているWeb3.0の社会が到来すると見込んでいる、その理由そのものでありますし、今の社会への根本的な問いです。

社会はもう一つの選択肢を求めているのではないか

”我々の社会において、選択肢は不要なのだろうか”

Twitter社に関して言えば、元々Mustodon(マストドン)というオープンソースベースの類似プロジェクトが存在しており2017年頃日本でも少し流行ったことが記憶にありますが、お読みの方にはその際インスタンスと呼ばれるサーバーを建てていた方もいらっしゃるでしょう。

プラットフォーマー企業が提供するサービスはその利便性やそこに集うユーザー数、それによって得られるトラフィックからの広告でのマネタイズモデルなど強みが多い訳でありますが、それだけが世の中に存在している社会が素晴らしいのでしょうか、いや、私は社会に接続する選択肢を複数持ち、将来的にプライバシーをユーザーの手元に戻すことに注力するようなプロダクトが社会には必要ではないかと考えています。

しかしこれは現状多数派ではないだろうし私自身も今もTwitterのアカウントを運用しています。

ただ、もし万が一何か本当に自分が悪いことをしている訳ではないのにソーシャルネットワークサービスのアカウントを停止させられたらと考えると、ぞっとするのも事実です。

インターネット上でのアクティビティや発言はもはやその人のアイデンティティの一部であり、ある種のデジタルアイデンティティであろうと考えているからです。アカウント停止者に反論する為のソーシャルネットワークサービスは与えられていない、果たしてそれで良いのでしょうか。

”もう一つ、ユーザー主義に則った、よりオープンでフェアな場があるべきではないか”

2021年1月米国を中心にSignal(シグナル)というオープンソースベースのメッセージングアプリが普及し出しました。米国やインドの国別iOSアプリチャートで一位を獲得したアプリであります。

このアプリはエドワード・スノーデン氏が推奨していることからもわかるように、それぞれのメッセージの送受信者の間でメッセージを完全に暗号化(End-to-Endの暗号化)しており、Signal自体ですらそれを読み取ることのできないと謳うソリューションであります。

利便性から多くの方が普及しているメッセージアプリを使う文化は便利さに負けて残るのだと思っています。そして、それは決して悪いことではありません。

便利さは今のインターネットに対して複雑性を理解せずとも、世界中の多くの人々が利用できているその源でもあると思うからです。しかし一方社会が代替策となるサービスを持つことができるという点が混乱の昨今では特に重要で、何らか突発的にプラットフォーマー側のサービスを享受できなくなった際に、直ぐに切り替えができる利点は非常に大きいとも考えています。

そうした社会は本来不要であれば良いのかもしれません。しかしそうも言えない時代が到来しているように感じることが日に日に多くなってきているようにも感じるのです。

こうした、社会が選択肢を求めている現象を、Web3.0の夜明けだと捉えています。